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オゴデイハーンがもう少し長生きしていたら、フランスまで到達していたかもしれない位強かったモンゴル。今や漢人によって歴史から抹殺されようとしている危機的状況…。
宮脇先生のおっしゃるモンゴルの「包囲作戦」を聞き、遊牧民の強さが改めて認識できました。戦術や戦闘においても遊牧民の騎馬兵の強さはさることながら、目的地を決めて各部隊で別れて行軍という点を聞いて軍事戦略にも長けているという点を痛感します。この作戦を取ることによって、1に「相手に決戦の場所、目的地をわかりにくくして兵力の集中投入や戦線の維持を困難にさせる」2に「戦力分散による各個撃破は遊牧民の騎馬兵には高い機動力を持っているため、非常に難しい」という個人の感想として思いました。遊牧民の生活から戦い、考え方においても農耕民族には到底思いつかない世界を持っているのでとても楽しい歴史分野だと改めて思います。
fra verie あ
補給の兵站がゼロで良い、と言うのも大きな利点ですよね。
宗教、文化、環境、地域、経済等々、多方面から見ると、なるほど・・と。モンゴルの影響を知らないと今までの歴史の成り立ちが判りつ”らい。先生のお話は面白すぎです。
当時の機動戦力としての騎馬軍団だったモンゴル軍だが、攻め込む前の「情報力」が凄かった。騎士なんて言ってた西欧軍が勝てる訳がなかった。弓の性能と騎射の技が凄かった!!!
ライン川のラインを超えるのは難しい気もしますが、確かにオゴダイが死去しなければフランスまで到達しそうですね
グローバリズムは昔からあったのですね。イデオロギーで世界統一、恐ろしい。
確か河添K子さんも「ワンワールド」を口にされてますね。以前河添さんもくららに出られていたので、ワンワールドについての番組を期待します。よろしくお願いします。
今も昔も商売人はグローバル化を望むんですね
イスラム商人が自分の商売に有利だからモンゴルを歓迎したって話最近の研究で言われてる欧米の植民地化政策って実は一方的な加害者被害者の関係ではなく実は現地人の一部が自分達の利益の為に欧米の植民地化を歓迎して手引きしていたって説を思い出した
モンゴル軍団の機動力は第二次大戦のドイツよりも上としか試算できないスピードですからね。
ソビエト時代から、ロシア公国やキエフ公国、ルーシ、スラブ(セルビア)の正体を知られたくなかったのですね。だからもちろん日本コミンテルン経由での大陸歴史勉強していた世代のモヤモヤ、マンド・ハイ よろしく宮脇先生が女性ならではの遊牧民生活の捉え方を噛み砕き説明していただけることは、私は白旗です、
常に攻撃側で機動力がある。これに尽きるのでは? 仮に防御側になったとしても防護すべき策源地が存在しないというのが遊牧民ですし。でも、それでは過去の遊牧民との差別化ができないですから、近いがハズレかな。各地方の戦争文化の曲がり角にちょうど当たったという「時代が味方した」というのが案外あたりかもしれません。
私は、ペルシアやムスリムという当時文明の中心だった中東地域の人々を今風に言えば情報将校や作戦参謀として抱えて居たので強かったのではないか?と思いました。ムスリム商人は中東地域は勿論欧州各拠点都市の世情は把握していたでしょうし、更に地理的な条件についても情報提供してくれたのだと思います。騎馬軍団の機動力は凄いですが、それでも万能ではないです。湿地帯や流動性の高い砂が多い砂漠は馬ではどうにもならないですからね。
Jackal#7 さん言い方を変えると、かつての遊牧民は世界の果てを見に行く戦いをしていたが、モンゴルは世界の果てを知ったうえで各地方を血祭に上げる戦いをしていたという感じでしょうか。おぉ。まさしく世界史の誕生。
集団戦法や火薬をいち早く採用?日本じゃ戦国時代だねえ。鎌倉でこれやってんだから、そりゃ強いわ。
『異人』をどこまで受け入れるか? 文化習俗の違いがおおきいかも。 宗教は案外垣根にはならないのは 占領地支配の実例が 各地で見られるし。
騎馬の弓兵なんてどうやって倒せばいいのかわからないもんな
やっぱりフン族もモンゴルの方から来たのかな
フン族は、匈奴ですよ。トルコは突厥だし。ロシアにはキプチャク汗国が二百年居座った。ブルガリアなんてモンゴル軍に追い立てられてカスピ海沿岸から現在の土地に逃げて先住民を追い出し居座った。
兵員20万、馬100万頭なら当時の世界なら無敵です
朝青龍みたいな奴が馬乗って、めちゃくちゃしてたんだろ?そりゃ勝てんわ
モンゴル軍の強さは徹底的に騎馬戦術の機動力に特化しことで、野戦には滅法強かったことだ。西洋や他の地域では、まだ重い甲冑を付けた歩兵が多数いるので進軍できる距離は短いし、長時間の戦闘はできない。そして強力な飛距離を誇る弓矢があった。つまり敵の何倍の距離を素早く移動でき、しかも敵より長射程の矢を放つことができた。 逆に攻城戦では苦労したはずだ。まともに攻めれば野戦の3倍4倍の死傷者がでる。そこで攻城兵器で工夫し、攻め落した城内では皆殺しをやり、敵対する者に見せしめにする。モンゴルに対し攻城戦を仕掛けると後で皆殺しにされることを思い知らせ、実際にそれを実行した。嫌でも敵軍は城からでて戦わざるを得ない。 あと一つは督戦隊だ。征服した他民族を戦線の最前線におしだし、逃げる兵士はモンゴル兵が背後から殺す。そして、それは現代でもロシアやソ連に立派に受け継がれている。
ルーシのリユーリツク朝のクニヤージ(公、分領公)は、結局母方はモンゴル系ということになったのですね。モンゴル系といっても、モンゴル族以外も居たかと思いますが(モンゴル部以外、例えばタタール部、ケレイト部の末裔、ナイマン部の末裔)、どうなのでしよう。
ドーバーまでいっていたら!??!
シオンのプロトコルや田中メモランダムを信じてしまう人がいるのはモンゴルのせいかも…。サヨクが好きなグローバリズムとダイバーシティはやはり矛盾する概念のような気がする。
なんというか都市ごと動いて戦争してる感じですね。本当の意味で国民皆兵制というか。スケールがでかい。モンゴルから比べたら戦国期の長曾我部氏の一両具足なんて小さいもんですね。
地図見難い
😊
あの絵は想像図だけど違うと思うな、あんなにデカかったら移動範囲は限られると思う。あれほどの広範囲を制したわけだから、家は分解して運んだと思うし、組み立ても簡単だったのだろう。そりゃ家財道具を一式運ぶわけだから牛の数もそうとう必要だったに違いない。デカいから40頭いたわけじゃないと思うな。
過度な地球主義を掲げ、追い付け追い越せと進んで来た。これからは地方主義を掲げよ!
モンゴロイド0指令
毎回、興味深く見ていますが、宮脇先生の話は面白いのですが、聞き手の田沼さんは余計なオウム返しのコメントが多く、どうしても倉山先生と比較してしまいます。個人的な感想ですが…
現代の くそ 商人と頭はおなじだな そして 脱税はせっせとやるわけよ
15分強の動画で3度も広告を入れてる時点でチャンネルくららの素性を理解出来る。呆れるわyawn
オゴデイハーンがもう少し長生きしていたら、フランスまで到達していたかもしれない位強かったモンゴル。今や漢人によって歴史から抹殺されようとしている危機的状況…。
宮脇先生のおっしゃるモンゴルの「包囲作戦」を聞き、遊牧民の強さが改めて認識できました。
戦術や戦闘においても遊牧民の騎馬兵の強さはさることながら、目的地を決めて各部隊で別れて行軍という点を聞いて軍事戦略にも長けているという点を痛感します。
この作戦を取ることによって、1に「相手に決戦の場所、目的地をわかりにくくして兵力の集中投入や戦線の維持を困難にさせる」
2に「戦力分散による各個撃破は遊牧民の騎馬兵には高い機動力を持っているため、非常に難しい」という個人の感想として思いました。
遊牧民の生活から戦い、考え方においても農耕民族には到底思いつかない世界を持っているのでとても楽しい歴史分野だと改めて思います。
fra verie あ
補給の兵站がゼロで良い、と言うのも大きな利点ですよね。
宗教、文化、環境、地域、経済等々、多方面から見ると、なるほど・・と。
モンゴルの影響を知らないと今までの歴史の成り立ちが判りつ”らい。
先生のお話は面白すぎです。
当時の機動戦力としての騎馬軍団だったモンゴル軍だが、攻め込む前の「情報力」が凄かった。騎士なんて言ってた西欧軍が勝てる訳がなかった。弓の性能と騎射の技が凄かった!!!
ライン川のラインを超えるのは難しい気もしますが、確かにオゴダイが死去しなければフランスまで到達しそうですね
グローバリズムは昔からあったのですね。
イデオロギーで世界統一、恐ろしい。
確か河添K子さんも「ワンワールド」を口にされてますね。以前河添さんもくららに出られていたので、ワンワールドについての番組を期待します。よろしくお願いします。
今も昔も商売人はグローバル化を望むんですね
イスラム商人が自分の商売に有利だからモンゴルを歓迎したって話
最近の研究で言われてる欧米の植民地化政策って実は一方的な加害者被害者の関係ではなく
実は現地人の一部が自分達の利益の為に欧米の植民地化を歓迎して手引きしていたって説を思い出した
モンゴル軍団の機動力は第二次大戦のドイツよりも上としか試算できないスピードですからね。
ソビエト時代から、ロシア公国やキエフ公国、ルーシ、スラブ(セルビア)の正体を知られたくなかったのですね。だからもちろん日本コミンテルン経由での大陸歴史勉強していた世代のモヤモヤ、
マンド・ハイ よろしく宮脇先生が女性ならではの遊牧民生活の捉え方を噛み砕き説明していただけることは、
私は白旗です、
常に攻撃側で機動力がある。これに尽きるのでは? 仮に防御側になったとしても防護すべき策源地が存在しないというのが遊牧民ですし。でも、それでは過去の遊牧民との差別化ができないですから、近いがハズレかな。
各地方の戦争文化の曲がり角にちょうど当たったという「時代が味方した」というのが案外あたりかもしれません。
私は、ペルシアやムスリムという当時文明の中心だった中東地域の人々を今風に言えば情報将校や作戦参謀として抱えて居たので強かったのではないか?と思いました。
ムスリム商人は中東地域は勿論欧州各拠点都市の世情は把握していたでしょうし、更に地理的な条件についても情報提供してくれたのだと思います。騎馬軍団の機動力は凄いですが、それでも万能ではないです。湿地帯や流動性の高い砂が多い砂漠は馬ではどうにもならないですからね。
Jackal#7 さん
言い方を変えると、かつての遊牧民は世界の果てを見に行く戦いをしていたが、モンゴルは世界の果てを知ったうえで各地方を血祭に上げる戦いをしていたという感じでしょうか。
おぉ。まさしく世界史の誕生。
集団戦法や火薬をいち早く採用?日本じゃ戦国時代だねえ。鎌倉でこれやってんだから、そりゃ強いわ。
『異人』をどこまで受け入れるか? 文化習俗の違いがおおきいかも。 宗教は案外垣根にはならないのは 占領地支配の実例が 各地で見られるし。
騎馬の弓兵なんてどうやって倒せばいいのかわからないもんな
やっぱりフン族もモンゴルの方から来たのかな
フン族は、匈奴ですよ。トルコは突厥だし。ロシアにはキプチャク汗国が二百年居座った。ブルガリアなんてモンゴル軍に追い立てられてカスピ海沿岸から現在の土地に逃げて先住民を追い出し居座った。
兵員20万、馬100万頭なら当時の世界なら無敵です
朝青龍みたいな奴が
馬乗って、めちゃくちゃしてたんだろ?
そりゃ勝てんわ
モンゴル軍の強さは徹底的に騎馬戦術の機動力に特化しことで、野戦には滅法強かったことだ。西洋や他の地域では、まだ重い甲冑を付けた歩兵が多数いるので進軍できる距離は短いし、長時間の戦闘はできない。そして強力な飛距離を誇る弓矢があった。つまり敵の何倍の距離を素早く移動でき、しかも敵より長射程の矢を放つことができた。 逆に攻城戦では苦労したはずだ。まともに攻めれば野戦の3倍4倍の死傷者がでる。そこで攻城兵器で工夫し、攻め落した城内では皆殺しをやり、敵対する者に見せしめにする。モンゴルに対し攻城戦を仕掛けると後で皆殺しにされることを思い知らせ、実際にそれを実行した。嫌でも敵軍は城からでて戦わざるを得ない。 あと一つは督戦隊だ。征服した他民族を戦線の最前線におしだし、逃げる兵士はモンゴル兵が背後から殺す。そして、それは現代でもロシアやソ連に立派に受け継がれている。
ルーシのリユーリツク朝のクニヤージ(公、分領公)は、結局母方はモンゴル系ということになったのですね。モンゴル系といっても、モンゴル族以外も居たかと思いますが(モンゴル部以外、例えばタタール部、ケレイト部の末裔、ナイマン部の末裔)、どうなのでしよう。
ドーバーまでいっていたら!??!
シオンのプロトコルや田中メモランダムを信じてしまう人がいるのはモンゴルのせいかも…。
サヨクが好きなグローバリズムとダイバーシティはやはり矛盾する概念のような気がする。
なんというか都市ごと動いて戦争してる感じですね。
本当の意味で国民皆兵制というか。スケールがでかい。
モンゴルから比べたら戦国期の長曾我部氏の一両具足なんて小さいもんですね。
地図見難い
😊
あの絵は想像図だけど違うと思うな、あんなにデカかったら移動範囲は限られると思う。
あれほどの広範囲を制したわけだから、家は分解して運んだと思うし、組み立ても簡単だったのだろう。
そりゃ家財道具を一式運ぶわけだから牛の数もそうとう必要だったに違いない。デカいから40頭いたわけじゃないと思うな。
過度な地球主義を掲げ、追い付け追い越せと進んで来た。これからは地方主義を掲げよ!
モンゴロイド0指令
毎回、興味深く見ていますが、宮脇先生の話は面白いのですが、聞き手の田沼さんは余計なオウム返しのコメントが多く、どうしても倉山先生と比較してしまいます。個人的な感想ですが…
現代の くそ 商人と頭はおなじだな そして 脱税はせっせとやるわけよ
15分強の動画で3度も広告を入れてる時点でチャンネルくららの素性を理解出来る。呆れるわyawn